2016/6/6-12

野口さとこ写真展 – Who is Charlie?

2016/6/7(火)-12(日)

11:00 – 19:00
入場無料

会場:gallery rondokreanto(ロンドクレアント)

〒606-8256 京都市左京区北白川伊織町40番地

TEL: 075-286-7696

http://rondokreanto.com

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6/11(土) レセプションパーティー 17:00 – 19:00

お気軽にご参加ください。

 

 Produced by Satoko Noguchi & Star Poets Gallery

Sponsored by Kayo Nishimoto

Satoko Noguchi HP : satokonoguchi.com

Facebook : https://www.facebook.com/events/1765033807076092/

 

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Who is Charlie?

 

あなたにも子供の頃、大切にしていた人形やぬいぐるみがあったのではないだろうか?

 

私にとってのそれは、可愛いパンダのぬいぐるみ、ランランだった。

いつでもどこに行くのも一緒で、当時の写真には、よく私の隣にランランがちょこんと座って写っている。

 

ランランは、いつしか繊維が硬くなり、白い毛はねずみ色に褪色し、耳や手がもげそうになり、

見かねた祖母が新しいパンダのぬいぐるみを買ってくれたりしたが、

私は相変わらずクタクタになったランランを離さなかった。

 

ランランは何も言わないけれど、一緒にいるだけで安心できる大切な友達だった。

 

 

 

 

 

私がランランから卒業して、10年ほど経った頃のこと。

 

高校受験を控えたある夜、小樽の実家の酒屋で陳列された、一本のお酒のボトルの首に、応募ハガキがたれ下がっているのを見つけた。

そこには「チャーリー人形プレゼント♪」という文字と共に、大人なのか子供なのかわからない不思議な人形の絵が描かれていた。

 

私は何故かその絵に釘付けになり、こっそりその応募ハガキを何枚か抜き取って、ポストに走った。

 

 

程なくして、それは届いた。

 

私は嬉々として、すぐに包みを開けたのだが…。

 

 

ランランは、子供のあどけなさのあるつぶらな瞳のかわいい女の子だったが、

それに比べてチャーリーは、ペラペラな背広を着てギラギラな蝶ネクタイを付け、

決して目を合わせようとはしない不気味なおじさんだった。

 

私はとりあえず、チャーリーを抱き、家族の前でぎこちなく腹話術をやってみせた。

その時は、まぁまぁ盛り上がったのだが、ステージは一瞬のうちに終わりを迎えた。

 

チャーリーは私が東京に引っ越す日まで部屋の隅にあるタンスの上に置かれ、私は生身の人間たちとの付き合いを楽しんでいった。

 

 

 

 

 

あれから、20年…。

2011年3月11日、東日本大震災を少し過ぎた頃。

 

 

当時、私は東京に住んでいて色々なことがあり、気落ちして、小樽の実家に少しの間、帰省することにした。

 

東京のアパートを出る直前、何故かそれまでずっと置きっぱなしだったチャーリーと目が合った。

相変わらずチャーリーには無関心なままでだったのに、その時何故か、心がハッとして放っておけなくなってしまったのだ。

 

私は、無造作にスーツケースにチャーリーを詰め込んで、空港へと向かった。

 

 

 

 

実家では、祖母と母が意外にもチャーリーを懐かしがって歓迎した。

 

そんなチャーリーを改めて見ると、服は20年間同じで、日に焼けて黄ばんでいる。

何だか申し訳ない気持ちになって、祖母にチャーリーに服を作って欲しいと頼んだ。

 

 

新しい服を身にまとったチャーリーはとても嬉しそうに見えた。

思わずカメラを向けた。

 

 

 

 

 

人生は予期せぬことで溢れているものだ。

 

 

 

それからのチャーリーは、まるで自発的に自分を開きながら世界と関わり続けている。

 

人々はチャーリーと会えばたちまち心を緩ませ、チャーリーと握手し、抱っこして、コミュニケーションを楽しんでいる。

 

私の中では、ただのおじさんの人形のはずだったのに…。

 

 

 

チャーリーは息をしていない、物も食べないし、うんちもおしっこもしない。

わがままも言わなければ、自分から甘えてくることもない。

懸賞の賞品になったのも、私の元に来たのも、放っておかれたのも、写真のモデルになったのも、全てが受け身だった。

 

 

だが、そうだろうか?

私は首をかしげる。

 

もしかしたら、チャーリーはあちらの世界から私を操っていたのかもしれない。

 

 

”もの”に魂が宿るのはいつなのだろうか。

 

それぞれにタイミングというものがあるのかもしれない。

チャーリーにとってはいつだったのだろうか。

 

人がたくさんの経験を経て人格が形成されていくように、人形も時間と経験を積んで魂を磨いていくのかもしれない。

 

 

 

チャーリーとは一体、何者なのだろう?

 

そう思いながら、今日も私は、チャーリーとカメラを抱えて旅に出るのである。

 

 

 

 

野口さとこ

 


 

 

Most of you must have owned a figure or a stuffed animal that you treasured as a child.

 

In my case, it was Ran Ran, a cute stuffed panda.

I took her everywhere I went, and photos from those days often had Ran Ran sitting next to me.

 

As years rolled by, Ran Ran’s fiber turned stiff, her white coat faded to gray, and her ears and arms were coming off.  My grandmother could not bear to see her in such condition and bought me a new stuffed panda, but I stuck with my worn-out Ran Ran.

 

Ran Ran never uttered a word but was an important friend that gave me peace of mind simply by being around.

 

A decade had passed since I graduated Ran Ran.

One night, several months before my high school entrance exam, I found an application postcard hanging from the neck of a liquor bottle displayed at my parents’ liquor shop in Otaru.

On that postcard was a drawing of a mysterious figure that I could not make out whether it was adult or child, with the blurb “Win a Charlie Figure.”

For some reason I was glued to that drawing and secretly took several of those postcards and ran to the mailbox.

 

It arrived shortly afterward.

 

I immediately opened the package in joyful exuberance.

 

Compared to Ran Ran, a cute little innocent girl with shoe-button eyes, Charlie was a scary-looking older guy with a flimsy suit and a glaring bow tie.

He also never made eye contact.

So I picked him up and made an awkward attempt at ventriloquism in front of my family.

It livened things up somewhat but the show soon came to an end.

 

Charlie held a regular position on top of a room-corner closet until the day I moved to Tokyo and I moved on to enjoy my association with real people.

 

Twenty years had passed since that time–it was shortly after the Great East Japan Earthquake on March 11, 2011.

 

Disheartened by a variety of problems related to life in Tokyo, I decided to return to my family home in Otaru for a while.

 

As I was leaving my apartment in Tokyo, our eyes met for some mysterious reason, even though I had more or less forgotten Charlie’s existence for ages.

I remained indifferent towards him, but something snapped and I could not leave him alone.

 

Without much thought, I threw him into my suitcase and headed for the airport.

 

Back in family home, my grandmother and mother unexpectedly welcomed Charlie, as they had not seen him in many years.

 

Taking a close look at Charlie, I realized that he was wearing the same suit he was wearing for the last 20 years and had turned yellow from exposure to the sun.

Feeling sorry for Charlie, I asked my grandmother to tailor a new outfit for him.

 

Clad in new attire, Charlie looked very happy. Before I knew it, I was pointing my camera at him.

 

 

Life is full of unexpected events.

 

 

Ever since that time, Charlie continues to involve himself with the world, spontaneously opening himself up to new experiences.

 

People relax right away when they meet Charlie. They shake his hand, hold him and enjoy communicating with him.

 

In my mind, he was supposed to be nothing more than a figure of an average middle-aged guy.

 

Charlie does not breathe, does not eat, does not urinate or poop.

He does not act spoiled nor does he fawn on you.

He appears to have been passive all along; becoming a prize novelty item, coming into my possession, having been forgotten and becoming a photography model. 

 

But I wonder if that was really the case.

 

 

Could it be that Charlie had been manipulating me from the other side?

 

At what point in time does soul abide in inanimate objects?

 

There may be a right timing for each case.  When did it take place in the case of Charlie?

 

As a person’s character is formed through numerous experiences, figures may be cultivating their soul with time and experience.

 

 

So who in the world is Charlie?

 

That’s the thought that goes through my mind as I head out on the road with Charlie and camera in my bag.

 

 

 

Satoko Noguchi

 

チャーリーとは誰か。

 

チャーリーの手の鳴る方へ

     〜コミュニケーションのアートとしての実在〜

 

野口さとこの個展を主催した2003年、彼女の切り取る時間の奥行きには

常に傍観し、俯瞰し、カメラの向こう側へと何かを観察し続ける少女の姿があった。

距離感の必然をとらえたこちら側とあちら側。その隙間に立ちながらコミュニケーションの瞬間をつなぐ記憶。

野口の写真にはクールな愛情がある。

 

ただ自然の美しさを写しただけではない花と蜂のおしゃべりが聞こえてくるような瞬間、北欧の街の路上で、遊んでいるのか嘆いているのかわからない女の子。

パリのカフェのテーブル越しに微笑むロートレック風イラストの中の女と生き生きと今を飲み込んでしまいそうなオレンジジュース。

“Suite féerique”というタイトルの個展だった。

当時、すでに彼女の現像の技術が結晶化したオリジナルプリントは、

旅の途中の配分を分かつ優美で懐古的な結界のようで美しかった。

 

その後の野口は写真家として水木しげる氏はじめ錚々たる紳士・淑女たちのポートレイト、2011年には禅フォトギャラリーにてライフワークのひとつである、各地のお地蔵さんをとらえた写真集「地蔵が見た夢」を発表するなど、精力的に独自の写真芸術を探求し続けている。

 

そして初個展から13年目の現在、野口さとこの写真芸術の世界はチャーリーという一人の家族のような男の出現によってかき乱されている。

 

3.11以降はじめてチャーリーを紹介された。

チャーリーをモデルにした写真を見せられた時、とにかくチャーリーの生い立ちが気になってよく彼女に尋ねたものだ。

ねえねえ、さとこちゃん。チャーリーってルーツはイギリスなの?その懸賞を出した酒造は今もあるの?

さとこちゃん!ところで中学の時はチャーリーで腹話術やってみたの?

腹話術って降霊術だったらしいね!など。

 

どうでもいい話のようで興味があるから仕方がない話題を

チャーリーをいじりながら投げかけてみたものだった。

そんなチャーリーが、なんだか会うごとにおしゃれな紳士へと変貌していくではないか。いや変容していくといったほうが正しいかもしれない。

祖母であるとしこさんの、お手製のダンディなワードローブを駆使する洒落男。

意外と照れ屋なチャーリーには少し気遣いが必要だ。

うっかり無礼をするとこちらの方の神経を問われるような顔をする。

モデル?としてどのような場所、人々とであっても実に凛とたたずむ彼は、

何か言いたげにいつもため息をついているように私にはみえる。

 

「チャーリーという男が媒介するこの世の縁(えにし)。」

今こそ野口さとこの写真の中にいる真実のチャーリーに会いたい。

 

チャーリーとはいったい何者なのか。

 

近づこうとすればするほど彼の存在は遠く儚い。

また彼から離れようとすればするほど手を引かれ人類の深みへと招かれるようだ。

ならば導かれるに任せよう。

 

チャーリーの手の鳴る方へ。

 

 

 

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京都・北白川のロンドクレアント(故・梅棹忠夫邸)にて展開される、初のチャーリーの晴れ舞台。

http://rondokreanto.com/category/concept/

 

もちろんチャーリー本人も毎日在廊しています。

 

媒介者の極みとして存在するチャーリーのあらゆるシーンを野口さとこが演出する、チャーリーの魂の物語!

ぜひあなたもチャーリーに出会いに来てください。

 

スターポエッツギャラリー 今村仁美

 

 

 

野口さとこ/Satoko Noguchi Profile

北海道小樽市生まれ。石仏や人形など命の無いものに宿る”何か”を写すこと、日本特有の土俗や風習のミステリーを写すことをコンセプトに制作を続けている。 

 

2011年、ライフワークである「地蔵が見た夢」の発表と出版を機にアートフォトとして注目され、ART KYOTO 2012やTOKYO PHOTO 2012などアートフェアでも公開される。

 

主な展覧会に、「Jizo dreams」新風館フォトグラフィ2013(京都国際写真フェスティバルKG+)、
禅フォトギャラリーによる写真家井上青龍氏との企画展、mujikoboでのグループ展など多数の展覧会に出品。

1999年《フジフォトサロン新人賞》部門賞受賞。

2012年《紙技百藝2012》馬場伸彦(写真評論)審査員特別賞受賞。

2014年より、移動写真教室”キラク写真講座”を主宰している。

ポートレイト撮影を得意とし、表情を写す技術は評価が高い。

 

これまで撮影した主な文化人・著名人:

水木しげるさん(漫画家)

荒俣宏さん(博物学者、図像学研究家、小説家、神秘学者、妖怪評論家、翻訳家)

松岡正剛さん(編集者、著述家、日本文化研究者)

横尾忠則さん(美術家)

佐野史郎さん(俳優、映画監督)

夢枕漠さん(小説家)

雨宮慶太さん(映画監督)

室井滋さん(俳優、エッセイスト)

加門七海さん(小説家、エッセイスト)

はなさん(タレント、ファッションモデル)

花輪和一さん(漫画家)

小松和彦さん(文化人類学者、民俗学者)

田名網敬一さん(グラフィックデザイナー)

 

写真展歴:

2013年 グループ展「Mujikobo×Gimlet」 MUJIKOBO (横浜)
個展「Jizo Dreams」新風館(京都)
2012年 ART KYOTO 2012
TOKYO PHOTO 2012
GAKEI GIMLET ”紙技百藝” 馬場伸彦賞受賞
2011年 二人展「地蔵が見た夢」Zen Foto Gallery(東京)
写真集『地蔵が見た夢』Zen Foto Gallery刊
2008年 個展「Un sablier dans la poche」violette(東京)
2005年 個展「つばめのアダージョ」Slow Time Gallery(群馬)
2003年

個展「SUITE  FEERIQUE」 Star  Poets  Gallery(東京)

グループ展「hanahana展」GALLERY ISSISS(京都)

グループ展「Christmas展」GALLERY ISSISS(京都)

グループ展「BOX show 2nd」喜多ギャラリー(奈良

1999年 フジフォトサロン新人賞部門賞受賞
1998年

二人展「AMBIENT TOKYO」LAS CHICAS(東京)

二人展「AMBIENT TOKYO」共存(東京)

 


 

 

Born in Otaru City, Hokkaido Prefecture.

Studied photography under photographer  Koichiro Shimauchi.

Satoko Noguchi focuses her photography work on capturing “something” that dwells in inanimate objects such as stone Buddhist images and figures as well as the mystery found in local customs and traditions unique to Japan.

 

 

Her work attracted attention following the publication of “Jizo Dreams” in 2011.

Consequently, her lifework of jizo (guardian deity of children) photos were displayed at art fairs including Art Kyoto 2012 and Tokyo Photo 2012.

 

Her other photo exhibitions include “Jizo Dreams” at Shinpuhkan Photography 2013 (KYOTOGRAPHIE KG+), a join exhibition with Photographer Seiryu Inoue at the Zen Photo Gallery and group exhibition at mujikobo.

 

1999 Fuji Photo Salon Rookie of the Year Award

2012 Nobuhiko Baba Special Jury Award, Kamiwaza Hyakugei 2012

 

Past Exhibition@Star Pets Gallery 東京 & 京都

 

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